8-美女探し大作戦 その1

夢にまで見た美人谷に行く前日は眠れなかった。
川に面した部屋からはゴーゴーと水が
洪水のように流れる音が聞こえ、
私はその度に雨かと思い外を確認してみるのだが、
それが川の流れの音だと分かると二秒後にはベッドに戻り、
眠くもない目を無理やり閉じようとした。

大きな川の向こうには、2000メートルを越えた山奥には
似つかわしくないマンションが何件か建っており、
漆黒の暗闇の中に部屋のライトだけがきらめいていた。
ライトで照らされた部屋からは、住人らしき人影が見えた。
しばらく眺めていると、川をぼんやり照らす部屋のライトは
次第に少なくなっていった。夜が明けようとしていた。

次に気づいたら朝の6時だった。
布団から出たくないほど寒い。
共用のトイレに入り、いつもより念入りに歯磨きをした。
美人に粗相があってはならない。

それにしても美人を見かけたら写真を撮るというだけなのに
私はなぜ眠れないほど緊張しているのだ?
私は自分の顔を一叩きし、トイレを出た。

さぁ、運命の日だ。

美人谷へは、公共のバスに乗った。
値段なんてあってないようなもんだ。
10元(130円)でいい?と運転手に確認すると
運転手は、すんなりと首を縦に振った。
40分後、私は美人谷のあるという巴底に着いた。

ここが美人谷か。

見渡してみるが、小さな個人経営の食料品店が
数軒ある以外、何もない。ただの普通の通りである。
ほんとうにこんな何もない村が、世に聞こえる美人谷なのか?

橋をみつけたので、橋のところまで降りてみた。

橋にはタルチョと呼ばれる5色の布切れが結ばれていた。
布切れには風の馬や経文が書かれている場合が多く
仏法が風に乗って広がるようにという願いがこめられているという。

私が橋の辺りをうろうろしていると、
派手な衣装に身をつつんだ現地の女性が
物珍しそうに私を見ながら通りすぎていった。

この辺りに住むチベット族は特にギャロン・チベット族と言われ
ルーツは羌族にあり、7世紀以降にチベット仏教を信仰し
チベット化したという。その独特な風習は、彼女たちの着る
ど派手な民族衣装を例に見ても明らかである。

「あんた、もしかして美人を探してるのか?」

何人か目に通りすぎたおばさんは、四川なまりの
それはたいそう聞き取りにくい中国語でこう言った。
「はい。」私がそう答えると、おばさんは残念そうに首を横に振った。

「もうここには美人はいないよ。残っているのは
みんな、じいさんや、ばぁさん達さ。
若い子はみんな都会へ出てったよ。」

私は、そうですかとだけ答えた。決して落胆などしなかった。
実は美人谷に美人がいない事は、旅行者の間では有名なのだ。

普通の旅行者が、美人谷に美人がいなことを知ると、
なんだ〜とその瞬間に美人谷への興味を失うだろう。

しかし私は違う。

私は美人谷に住む老人達に、
美人谷にここ数十年で生まれた女性の中で
一番の美女は誰か?を聞いてまわって統計をとり、
美人谷で一番美女であるとされた美女を中国じゅう追いかけ
突撃取材してやろうと考えていたのだ!
まさに執念の取材である。

美人谷はあっちさ、まぁ行きたいなら行くといいよ。
年寄りばかりだがね。」

おばさんはそういい、遠くに見える山を指差し私をおいて歩を進めた。
私はその山の方角に歩きはじめた。

ギャロン族のユニークな住宅を幾棟となく通りすぎ、
1時間くらいで美人谷らしき山についた。
工事をしている作業員に、「ここが美人谷ですか?」と聞くと
まさにそうだ!というのでどうやら間違いなさそうだ。

そばにあった看板によると、
頂上にある村まで山道を5キロ登る必要があるという。
美女への道はなんと遠いことか・・。
私は覚悟を決めて歩き始めた。

綺麗な川に沿って歩くと美しい花が咲いていた。

道中には動物達が普通に歩いている。
ここでは人間の私のほうがむしろ少数派なのかもしれない。

豚の親子を通りすぎ、ふと景色を見て私はため息をついた。

なんて壮大な景色なんだろう・・。
これが美人谷なのか。

思えば遠くへ来たもんだ

ここにいると、こんな一昔前に流行った
曲のタイトルが自然に脳裏に浮かぶ。
私はしばらくそこに立ちつくし、
ただただ、その自然の迫力に圧倒されていた。

二キロくらい歩いた頃、私の後ろを車が
ラクションを鳴らしながら通りかかった。
どうやら頂上の村に住む人が頂上に帰るための
乗り合いタクシーのようなものらしい。
その車は私に何か言い停まったので、
私は乗れということだろうと判断し遠慮なく乗り込んだ。

乗っていたおじさん達二人は、チベット人のようで
労働者のような粗末な服を着ていた。
それにしても女性は派手な民族衣装を着ているのに、
男達の格好のなんとみずぼらしいこと。
これも、かつてこの辺りに存在したという
女性中心の女王の国があったなごりだろうか。
一通り通じたのか通じていないのかも分からないが
下手な中国語であいさつをし終わったところで
私はおじさん達に確信をつく質問をしてみた。

「ところで、この美人谷で一番の美女は誰ですか?」

私は唾をのみこんだ。
そして次の瞬間、おじさん達は口を開いた。

「dふぁsどfかどふぇwふぇおwkふぉあkfどあ!!」

え?

「おdkふぁおsdkふぉだskふぉdさkふぉ!!!」

ん。。
言ってることがぜんぜん分からない・・。

四川なまりの強いチベット人の話す中国語のせいか、
私にはまったく違う言語にすら聞こえる。
しかし中国語の単語が時折聞こえるのでどうやら中国語らしい・・。
これはまいったなぁ・・。予想外だ・・。

仕方ないので私は頂上で降ろしてもらった。


そこにはどこか神秘的な館のような建物があり、
飲食店と小さな商店がそれぞれ一軒あるというだけの
本当に小さな村だった。

館は廃墟のようで中に侵入してみたが、
特に生活の様子はみられなかった。
この村の美女達は幼いころ、ここを遊び場としたのだろうか?

それにしても老人はいるものの、若者が一人もいない。
村には子供が何人かはいるだろうと
思っていたのだがその子供すらいない。
中年くらいの年齢であればこの村では若手だといえそうだ。

少し歩いていると館の近くから何か音が聞こえた。
大きなすり鉢でなにかをすっているような音だ。
その音につられて歩いて行くとそこには小さなお寺があった。
私が寺の前で見ていると中にいたおじさんが、
入りなさいと手招きしてくれた。

入るとそこには4畳ほどのスペースの真ん中に大きなマニ車があり、
おじいさんやおばぁさん達が熱心に経文を唱えながらまわしていた。

私もおじさんに言われるがままにマニ車を回した。
特に信仰心はないが、私はよく中国人に間違われるので、
マニ車を回すことで私はここにいるチベット人の敵では
ないことをアピールする必要もあったのだ。
おばぁさんたちはマニ車をまわす私を
終始にこにこした表情で見ている。
普段からそういう顔なんだろう。

こんな何にもない村で暮らしていると
おばぁさん達は自分の顔を知っているのだろうか?と
ふと幻想めいた事を考えてしまう。
いくら山の上とはいえ、鏡なんてどこだって買えるのだろうが、
この村にいるとそんなことすら真剣に思えてしまうから不思議だ。

そうだ、写真を撮っておばぁさんに見せてあげよう。
そうすれば、おばぁさん達も喜んでくれるかもしれない。
私は仲良くおしゃべりしているおばぁさんたちに
写真を撮るふりをし、「写真、撮っていいですか?」と聞いた。
しかし、ぜんぜん通じないので、
私はかまわずシャッターを押した。


おばぁさん達に写真を見せて、少しうちとけたところで
私はあの質問をしてみることにした。
もしかしたら標準的で教科書通りの綺麗な中国語の発音で
話しかけると奇跡がおきるかもしれない!!
私は緊張しながら、いつもよりゆっくりめで発音してみた。

こ・の・あ・た・り・で・い・ち・ば・ん・の・美・女・は・誰・で・す・か?


おばぁさんの一人が、にこっと笑い、
その深い皺の刻まれた重い口を開いた。


「djふぁおsdふぉあsdjふぉだs。」



・・・。


もうお手上げだった。
言葉が通じないのであれば、
美人谷で一番の美女なんて探せっこない。

私の美人谷に住む老人にアンケートをとり、
村で一番評判の美女を探し出すという作戦は
こうして見事に玉砕した。

私は家に帰ろうとしている老人達とともに、
この山を下山することにした。
おばばの歩みは遅く、私がしばらく歩いて
立ち止まり撮影していると、やっとのこのこと追いついてきて
また私が追い抜いて撮影をしていると、
再び、のこのことおしゃべりをしながら追いついてくる。

私は60年前のあなたにこの山奥で会いたかったよ。
おばば。

アンケート大作戦が玉砕した今、
私は手ぶらで日本に帰るわけにはいかなかった。

私は次なる作戦のため、山を降り
天に親指を向け車を停め、ゲストハウスのある町へ帰った。

私の美人探しの旅はまだまだこれからである。
私は新たな美人探し大作戦に着手することにした。



つづく・・。