7-夢の美人谷へ

3000メートル級の山々の上で迎えた朝は寒かった。
私は黒いダウンコートを着て、頂上が白く雪化粧をした
山々を背に歩き出した。

私の次なる目的地は、美人谷への出発点となる丹巴である。
私は夢にまで見た村を前に、落ち着かなかった。
私の今回の旅のメインは、なんと言ってもこの美人谷なのである!

この村で何も収穫が得られない場合、
私の旅は「失敗」を意味していた。
自称作家である私にとっては、この村に私の今後の
作家生命がかかっているといっても過言ではなかった。

おぉ神よ・・。我が主よ・・。
この息苦しさは高山病なのか?
それとも、あなたが私に課した試練からくるものなのか?
おぉ・・・。

丹巴への道は平坦ではなかった。
いたるところに生々しい土砂崩れ跡があった。

その度、男達はバスから降りて、道路に散らばった
人の顔ほどの大きさの岩を崖に突き落として道を作った。
それを女はバスの中から見守るのだ。
私達も数秒違いでチベットの土と化していたろうに、
不思議と全く恐怖感はなかった。
生きるも死ぬも全て運として受け入れようではないか。
この地でチベット雄大な大地を見ていると自然とそう思えてくる。

聞けば、美人谷への直行バスはないようで、
バスはまず美人谷へ向かう途中にある町「小金」へと向かった。
この小金から美人谷のある丹巴にかけては、
唐の時代に女性が権力を握っていた女王の国、
「東女国」という国があったという。
つまり西夏王朝が元に滅ぼされ
美人が多く流れてきたといわれる美人谷辺りは
かつて女性中心の女王の国だったのだという。
なんと旅情をかきたてるのだろう。

私の乗るバスは3時間程走り小金に着いた。
なんとも空が近く感じる町だ。

目的地である丹巴行きのバスに乗り換えようとしたが、
運転手はあと一時間でバスは出発すると断言した後、
同乗する客を探しに消えた。

まぁいいと思い私は小金の街を少し探索することにした。
この街はどうやら水が通っていないようで
住民は町の水汲み場まで行ってタンクに大量の
水を入れては抱えたり、台車をひいたりしていた。

律儀な私が一時間後にバス停に戻ると
当然なからバスはまだそこにあった。
しかし一時間が一時間半になっても
二時間になっても発車しない。
いつ走るの?と聞いても「もうすぐだ」と答えるのみ。
要は客が集まり次第発車するということらしい。

このままでは私の予定が狂う。
しびれをきらした私は運転手にゆすりをかけることにした。
きっと丹巴に行く運転手は彼一人ではないはずだ。
私は紙にこう書いた。

「今すぐ丹巴に行く運転手を探しています。」

そして近くにいたバスの運転手にためしに見せてみたが
運転手はそれぞれ走る目的地が決まっているようで
誰も丹巴には行かないという。

私のバス運転手とその友人と思われる男も
やがて私の紙に気づいたようで、
おもむろに私に近づき私の紙を取り上げた。
この友人は暇なのか、高地で紫外線がきつすぎるのか
道端でくばられている紙で帽子を作ってかぶっていた。
私が、その帽子をかっこいいじゃん!とからかうと、
彼は写真はやめてくれ!と逃げた。

変な帽子をかぶった男は私にペンをよこせと言う。
私がペンを渡すと、男はニタニタしながらこう書いた。

100元(1300円)払えば俺が今すぐ行ってやるよ!

乗り合いバスの三倍以上の値段だ!
私は打つ手がないので大人しく諦め待つことにした。
そして三時間後、やっとバスは人が集まったようで出発した。
それにしてもワゴン車に10人は詰め込みすぎだと思う。

丹巴までの道もまたひどかった。

しばらく道なき道を行き、バスはようやく丹巴に着いた。
道路の脇には商店やホテルが多くつらなっている。
軒先では何かを大なべで炒めている音や、道路工事の音がする。
そこに学校帰りの中学生がジャージ姿で歩いている。

小さいながらに可愛らしい街だ。

私はユースホステルに行き、
二泊するからと一泊60元(約800円)の部屋を
50元(650円)にまけさせ川に面したシングルルームを確保し
そこを「美人捕獲前線基地」と名づけた。

私は午後二時に遅い昼飯を食べた。
バスの到着が遅れたこともあり
仕方ないので美人探しは翌日にまかせ「甲居蔵寨」という
チベット族の住む集落に行くことにした。
この村の住居は美しく、中国で一番美しい村と
いわれていわれているようだ。


私はそんなこの村でひとつやりたい事があった。

ここでブログの顔となるトップ写真を撮るのだ!!

これは本なら表紙の写真となる重要なものだ。
ジャケ買いなどという言葉があるように
いい写真を使った本やCDは表紙がいいというだけで
売れるのが私のいるこの世界だ。それはブログも同じだろう!
私はこの日に備え、日本から三脚まで用意していたのだ!

頭の中で撮りたい構図は100%固まっていた。
山沿いに建っている一風様変わりな住居を
谷の下から上へと眺めている私の後ろ姿を撮るのだ。
後ろ姿であるのことに特に理由はない。
しかし男は口でぺちゃくちゃ喋るものではなく、
背中で語りかけるものだと思うのだ。

完璧な頭上の構図に対し、実際は思うような場所がなく
いい写真がなかなか撮れない。

ダメだ!こんなんじゃない!まず住居写ってないし。

違う!住居写ってるけど、いかにも撮りました感がでている!
それにブログの写真としては加工しにくい。

うーん。冒険家っぽさはでているが、
これは戦時中に中国軍の政治部が基地として
使っていた建物で、チベットとは一切関係ない・・。

途中、私が欲しい絵が撮れる場所があった。

しかしこの写真では12倍ズームを使っており、
ズームを使わない場合、住居はもっと小さく写る。
それにズームを使うと私がでかく写りすぎるだろう。

うーむ・・。理想とする写真を撮るとは
これほど難しいものなのか。

やめだ!やめだ!やめだ!私は諦めた。
無理なものは無理だ!
私はカメラをしまい三脚をかかえ、来た道を戻った。

途中あまりの道の複雑さに迷子になってしまった。
誰か人がいないかなーとずっと歩いていて
出会ったのが彼。うん。。ちょー怖い!!

牛のどこが怖いんだと私のことを鼻で小ばかにしたあなたは
誰もいない山道で野牛とでくわしたことがあるだろうか?
向こうは野生だよ?私はボンボンの箱入り息子だよ?
どっちが道を譲るべきなの?
取っ組み合いになったらどうする?
その鋭い角で刺されたらどこの病院行けばいい?
病院の先生になんて説明したらいい?
頭の中をスペインの闘牛ショーの獰猛な牛が頭に浮かぶ。

こうなれば中国軍もびっくりの「孔雀威嚇大作戦」である。
私は三脚を一番大きくなるまで広げ2メートル近くにした。
そして、三脚を振り回し、威嚇するためにギャーと奇声をあげ
牛に突進すると、牛は頭のおかしい人間に恐れをなしたのか
道を外れてキャンキャンと逃げていった。
最初からそうすればいいんだよ、キミ。
今度は牛丼屋で会おうね!

それにしても牛が教えてくれた景色はすばらしかった。

私はここでしばらく景色を眺め、風に吹かれた。
数百年前にこの景色を美人達も見たのだろうか。
彼女達も私と同じように牛にびびり逃げたのだろうか。

私は美人探索前線基地に戻り、美人に嫌われぬよう
伸びたひげを剃り、伸びたツメも切った。
そして持ってきたなかで一番いい服を用意し
ベッドの側に置くと、川を望んでお祈りをした。

明日、美人が現れますようにと。
チベットの夜空には星がひとつ光って見えた。