12-ATMをたずねて6時間

郎木寺では日本の当たり前が当たり前ではない。

まず水は蛇口をひねって運が良ければでる。
洗濯は川でしている人もまだいる。
電気も水同様に運で、通ってないことも多い。
電気が通るのは完全な気まぐれで、
急に電気が通るとゲストハウスの従業員は
「电来了!(電気がきたぞ!)」と叫んで走り回って大喜び。


電気が通っているそのうちに、暗い部屋で料理を作ってしまおう、
洗濯機を回してしまおうと、彼らは開店休業状態から
一気に仕事モードに入るのだ。

そんな郎木寺の村にはATMが二つあった。
田舎の銀行は手数料が高いので、お金を下ろすなら
どこか大都市の大手銀行でお金を下ろそうと思っていたのだが
もう財布の残金がチベットでの一日の生活費である
200元(2600円)にまで減ってしまったので
私は仕方なく村のATMまでお金を下ろしにいくことにした。

私はいつものようにATMを操作し、
クレジットカードを差込口に差し込んだ。
ボタンを適当に押して、下ろしたい金額を選んで
簡単に現金を下ろす、はずだった。

しかし、下ろしたい金額を選んで決定のボタンを押すのだが
最後に「このカードは使用できません」と
中国語で表示され、私のカードは返却された。
それは、何度やっても同じだった。

いや、いや、そんなはずはない!

今まで中国の田舎町にも数多く行って来たが、
こんな事は初めてだ。一体どういうことだろう。
私のカードは世界共通のVISAカードなのだが。

仕方ないので、もう一つの銀行にも行ってみた。
前の人が普通にお金を下ろしているので、
ATMの機械に現金が不足している感じでもない。
私はドキドキしながらカードを差し込んだ。

これで現金が下ろせなければ、
私はチベットの土となろう、風となろう。
そして、鳥に食われよう。

緊張しながら下ろしたい金額を打ち込む。
そして息を整えて、決定ボタンを押す。
するとしばらくして表示が出た。


「このカードは使用できません」



・・・チーン。



どうしようか?予想外である。
まさかの中国の僻地でクレジットカードが使えない。
残金はあと一日なんとか過ごせるだけしか残ってない。
私はトラベラーズチェックもなければ日本円も、
USドルのような気の利いた通貨も持ってない。
金になりそうなものといえばi pod touchくらいだ。
私は本当にチベットの土となるのだろうか?

とりあえずゲストハウスに戻り、
状況を説明し、援軍を頼むことにした。

ゲストハウスには仲良くなった才旦という
スタッフ(写真中央)とゲストの中国人の女の子がいた。
クレジットカードを見せて、何故か銀行でカードが使えないというと
彼らは私のカードを見てこう言った。

「これは何だ?」

え。まず、そこから?
えーと、これはクレジットカードと言いまして
本来ならATMに差し込むと現金がどばーっと・・・

私がそう説明しようとすると才旦は
それくらい知ってるよ、という感じで
私を手で制止し、話し続けた。

「このVISAというマークは何だと言ってるんだ。
こんなマーク見たことないぞ!」

そういうと女の子が自分の財布から自分の
クレジットカードを取り出し私に見せてくれた。

「ほら!中国の銀行はここがUNION PAYとなってるのよ!」

UNION PAY?!
確かに彼女のカードには私のVISAと書かれている所に
UNION PAYと書かれている。
彼女いわく中国のカードはだいたいこれだという。
ということは、私のカードが使えないのはそのせいなのか・・。

そもそもさぁ・・
VISAって世界共通通貨じゃないのかよ!
世界中どこでも使えるんじゃないのかよ!
夏目漱石とか福沢諭吉が確かCMでそう言ってたよ!
それならそうと、「中国の僻地ではご使用になれません」って
CMの最後でしっかり言えよ!まったく・・。

嘆いても仕方ないので私はゲストハウスのオーナー(上の写真左)に
一緒についてきてもらい銀行の窓口に行ってみることにした。
オーナーいわく、その銀行の銀行員は
外国のカードにも詳しいらしい。

これは期待がもてそうだ!

しかし時計を見ると時間はもう既に夕方の4時、
田舎の銀行はいつ閉まってもおかしくない。
急がないと、私は本当にチベットの土となってしまう。

私と援軍のゲストハウスのオーナーは
急ぎ足でさっきの銀行までやって来た。
辺りまで来て、私は自分の目を疑った。
なんと30分前まで開いていた銀行のシャッターが
完全に降りていたのだ。私は自分の悪運を呪った。

しかし、まだ人が中にいるかもしれないので
シャッターを必死の思いで叩いてみたが、返事はない。
私とオーナーは無言で砂埃が舞う
郎木寺のメインストリートを来た道を戻った。

ゲストハウスに戻った私は、才旦と女の子に助けを求めた。
私のカードは成都中国銀行という
中国最大手の銀行では使うことができた。
ということは中国銀行のATMでは間違いなく使えるはずだ。

「近くの町に中国銀行はありますか?」
私がそう聞くと、オーナーは隣の「合作」という町に
確か中国銀行のATMがあったかもしれないという。

「あったかもしれない」では困るのだ。
どれもこれも不確かな情報なので
ネットで中国銀行のHPに飛び、支店を探してみると
確かに合作のあるこの甘粛州にATMがあるとは書いてあるが、
それが合作とまでは明記されてない。
HPまで不確かである。

困り果てた私は「教えてGOO!」で
中国の田舎の銀行事情に詳しい日本人を探すことにした。
そんな人がいるとは到底思えなかったが、
何も行動を起こさないよりましである。
なんたってこっちは何より尊い人命がかかっているのだ!
お金が下ろせない場合、鳥に食われる運命なのだ!

(↓私の魂の問いかけ)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7481130.html

私は明日にでもこの村を出て、
一番近い町である合作まで行こうと思ったが、
この水も電気もない郎木寺という村は妙に居心地が良い。
チベット人のスタッフも、今朝初めてあった
私に旧友のように接してくれる。

金は必要だが、郎木寺にはまだいたい。

どうしようかと悩んだ挙句、
私は明日、バスに乗り三時間かけて合作の町に行き
ATMを見つけだし、現金を下ろしたら
再び三時間かけて郎木寺に戻ることにした。

往復6時間かけてバスに乗りATMを探しに行くなんて
100メートル歩けばATMがある日本では考えられない。

もし合作でもお金が下ろせなかったら、
その時は日本男児として潔くチベットの土となろうではないか。
これは私にとって生きるか死ぬかの選択でもあった。

翌日、私は誰も起きてないホステルで一人目を覚まし
こそ泥のようにホステルを抜け出しバス停を目指した。
こんな日に限って、微妙に腹が痛いのが気になったので
カバンから腹痛薬を取り出し水で流しこんだ。
最悪の事態があれば、日本の恥なので私は
誰の目にも触れない最後尾の席をキープした。

まぁ薬も飲んだし、大丈夫だろう。
そう自分に言い聞かせバスに乗り込み30分。
バスは近隣の村に着いた。

この辺りから雲行き、いや腹行きが怪しくなった。
腹の中のテロリストがどんどん勢力を強めている。
腹内テロリズムである。

これはやばい!!

私はカバンからトイレットペーパーを取り出し、
大量にそれを左手に巻きつけ、簡易パンパースを作った。
時計を見ると出発して40分、まだ残り2時間20分もある。
こっちは、なけなしの金をはたいてバスに乗っているんだ。
死んでもバスを降りないからな!

でも降りたい・・。
降りたいよぉ・・。

あぁ〜。
あぁあああああ〜。
ああああああああああああああ・・・。

私は周囲を注意深く窺い、誰も見てない隙に
手作りパンパースをとうとうズボンの下に装着した。
何も今すぐここでブツを出すわけではない。
装着することで、腹へ心理的
安心感を与えようという作戦である。

しかし心理的作戦は成功しなかった。
むしろ、装着したことで、今すぐ出したくなった。
私は万が一の事態に備えて窓を開けた。

はっきり言っとくがな、俺は出す時は出す男だぜ?

次第に頭までおかしくなってきた。
出るか、出ないかの状態のまま
バスは目的地まで突き進んだ。
そして後20分で到着というところで
バスはあろうことか、ガソリンスタンドに停まりやがった。
君の国にはKYという言葉はないのか?

しかし、いつだってピンチはチャンスでもある。
車がガソリンを入れる一瞬の隙に
私は私のガソリンを抜こうと思ったのだ。
運転手にかけより、トイレに行ってもいい?と
迫真の演技で迫るが運転手は、「もうすぐ着く」
の一点張りで決して首を縦に振らない。

腹が痛いんだって!これは個人を狙った
卑劣極まりないテロリズムなんだって!

そう言っても彼には何のことか分からないようだ。
奴は事態の深刻さを全く分かってない!
不測の事態が起こったときは
パンパースを奴の顔に塗りつけてやるんだ。

そこからの20分は地獄の有様だった。
未だかつて人生がこれほどまでに
過酷だと思ったことはあっただろうか。

やがてバスは町に着いた。
意識がもうろうとする中、私は他の乗客を
殺気で押しのけバスを降りた。
降りるついでに運転手の顔をしっかり覚えた。
後世5代に渡って呪ってやる。

降りてすぐにレストランを見つけた。
中に入って、客ではないことを告げた。
金なら欲しいだけ払うからトイレを貸して!!
そう言いたかったが、もう金は幾ばくもない。

仕方ないので私は
「金を少し払うからトイレを貸して!」と叫んだ。
店の従業員は「トイレならないわ。」と言って
残念そうな顔をした。

トイレのないレストランとかどんなだよ!
私は尻をかばいつつ不自然な走り方で
近くの古いホテルに走った。

朝9時なのに、フロントには誰もいない。
トイレを探すが一階にはなさそうだ。
私は勝手に二階にあがった。
従業員に見つかれば客のふりをすればいい。

階段を上がってすぐ、
私の捜し求めた楽園はそこにあった。
長らく掃除はしてないという感じの古びた共有トイレ。
足元は薄汚れた水でべちゃべちゃに濡れている。
普段なら足を踏み入れるのもよそうという感じの
トイレだが、今の私にとってそこは夢の楽園だった。

ふぅ〜。

私は決してテロには屈せず最後まで戦いぬいた。
日本男児としての面目も守った。
テロとの戦いはこうして私の全面勝利で終わった。
私は悪い夢でも見ていたかのように元気になった。
一件片付き、いよいよ本題のATM探しである。

早く郎木寺に帰ろうと思うと
この町での滞在時間は1時間しかない。
そのバスを逃すと、次に郎木寺に行くバスは
4時間後であった。

私はすぐにタクシードライバーに声をかけ
中国銀行のATMを知ってる?」と聞くと
うさんくさい髭を生やしたその男は
「もちろんさ!乗りな!」と言い私を後部座席に乗せた。
運転席の窓越しに「本当に知っているんだな?」と念を押すと
「知っている!」というので信じてみることにした。

乗って3分後、奴は口を開いた。
中国農業銀行はダメか?」
この男、頼むから少なくとも5回死んでくれと思った。
農業銀行のATMはVISAを受け付けなかったのだ。
中国建設銀行もきっと無理だろう。
やはり大手の中国銀行しかダメなのだ!

中国銀行か、ある!きっとある!」
きっと?私は男に確固たる根拠が
全くないことにすぐに気づいた。
もう中国銀行は諦めた!
そこそこ大きな町で適当に車を走らせて
そう簡単に見つかるものでもないだろう。

「他に大きな銀行ない?中国第三位でもいいからさ。」
この男を少しでも信じた自分を反省しながら聞いた。

中国人民銀行はどうだ?」
男はミラー越しにそういった。

「それは大きい銀行か?」

「もちろんだ!中国で一番だ!」

中国で一番は中国銀行じゃないのか?
と思ったが、私はすぐにピン!と来た。
もしかして人民銀行とは中国のお札に
名前が載っているアレかと!
言うなれば日本の日銀である。

中国のお金を発行しているような
大きな銀行なら海外のカードが使えるATMもあるだろう。
私は、そこに行ってくれと伝えた。

人民銀行のビルにはすぐに着いた。

やたら大きなビルで頂上まで見ると首が疲れてならない。
運賃として運転手の言い値の半分を渡すと運転手は
まぁ仕方ないな、という感じで汚い歯を見せ苦笑いした。
後世5代に渡って呪われたくなかったら
早めに私の目の前から消えてくれ。

私はすぐに工事中のおっちゃん達の間をすり抜け
人民銀行のビルに入った。
しかし、ATMはどこにも見当たらない。
どうやら、ここは人民銀行合作本店のようなところで
一般顧客向けのATMや受付カウンターないようだった。
そもそも人民銀行は一般顧客を対象としてないのだろう。
やっぱさっきのおっさん、後世5代に渡って呪ってやる!

私はすぐに別のタクシーを拾い、
近くの銀行に行ってもらった。
今風の中国の大学生という感じの
テクノカットの彼は郵便局のATMの前で停まった。
カードを入れるがやはり使えない。
落胆した私を乗せたテクノタクシーは次に
中国建設銀行に向かった。

ダメ元でカウンターにいたおばさんに
このカード使えますか?と聞くと
おばさんは首を横に振る。

どうすれば使えますか?と聞けば
ここから100キロ以上離れた临夏という町に
中国銀行があるという。
そこならおそらく使えるという。

ここから100キロ以上か・・
財布を覗けばもう、1500円しかない。
かなりギリギリの行程である。
私は情報をくれたおばさんにお礼を言い
銀行の外に出た。すると銀行のATMが目についた。

無理だと思うが、一応、私はカードを差し込んでみた。
下ろしたい金額をうちこんでエンター。
ここまではどこのATMも同じである。
次の瞬間、ATM特有のお金を数えるような音がした。まさか!!!
そして2秒後、ATMから現金が現れた。

ぎゃあああああああああああああああああ!!

私は現金を摑んで狂喜乱舞していた。
私は誰かとこの喜びを共有したくなり
銀行のおばさんの所に走った。

おばさん!金下ろせたよ!!

あんた!やったわね!

おばさんのみならず銀行中のスタッフが私を祝福してくれる。
銀行のATMで金を下ろしただけなのだが。

私はその後、観光もせずに合作の町を
離れ大好きな郎木寺に戻った。

運転手はなんと私が行きしに
乗ってきたのと同じ運転手だった。
運転手もさっき乗っていた奴が
なんでまた乗っているんだという
不思議な顔をして私を見ている。

出すもの出してすっきりし、
さらに、さっきまでなかった現金を手にし、
気分がよかった私は、運転手を呪うのは
今回に限りやめてやろうと思った。