11-鳥葬をたずねて三千里

突然だが、「鳥葬」という言葉をご存知だろうか。

人は生まれ、生き、やがて死ぬ。
チベットにおいて死んだ人間の魂の抜けた体は、
何ら特別なモノではなく、ただの肉の塊と見なされる。
それならば、その肉を有効に活用しようではないかと
その故人の肉を、骨ごと大きな刃物でぶった切り
死肉を餌にしているハゲワシなどの肉食の鳥に食わせる儀式、
それが「鳥葬」である。

鳥に食わせることで、魂の抜けた体を天まで送り届けるという
宗教的な意味合いや、単に高地のため火葬するための木が
十分にないという理由もあり、チベットの一部の地域では
今なおこの儀式が行われているという。

私はチベットに来たからには、
どうしてもこの鳥葬を自分の目で見てみたかった。
しかし、チベット人にとって神聖な儀式に、
ふらっとチベットにやってきた外国人旅行者が
カメラ片手にやってくるなんて相当、不謹慎である。
死者を冒涜していることも承知している。

しかし、どうしてもこの腹の底から沸いてくる
見た事ないものを見てみたいという好奇心には勝てなかった。
私はチベット人がいかに生き、
いかに人生の最期を迎えるのかを
どうしても見てみたかったのだ。

私はこの鳥葬が今なお行われている郎木寺という村に向かった。
6時半のバスに乗るため、6時にはホテルをチェックアウトし、
すぐ傍にあるバスターミナルに向かった。
まだ薄暗い空からは、雪のような小雨が降っていた。
その雪のような雨は私の肩に落ちて、しばらくして溶けた。

チケットセンターは人で溢れていた。
誰も列など作らない。
この国では、まず列を作るという発想がないらしい。
先に従業員に声をかけたほうが勝ちである。
私も数十人のおっさんの中に入り、タイミングを窺った。
何度も押しのけられそうになったが、
その度、肘でおっさんを制止し、
さらに背中の大きなバックパックでおっさんの進路を塞ぎ、
やっと自分の番となり無事チケットを買うことができた。
この国では草食系男子は生きていけないと思う。

バスの中では誰かが今日の最高気温は
11度だと話していた。どうりで寒いわけだ。
私は朝も早かったこともあり、バスの中ですぐ眠りについた。
どれだけ寝ただろう。私は「着いたぞ!」という声で起こされた。
郎木寺に着いたら教えてくれと運転手に頼んでおいたのだ。
降りると小さなコンクリートの橋が見えた。
どうやらバスはそこまでしか行かないようだ。

運転手が、あのおっさんについていきな!と言うので
私より少し先に下りたおっさんについて行くと
そこにすぐにミニバンが砂煙をあげながらやって来て、
私とおっさんを乗せてくれた。
どうやら郎木寺に行く乗り合いタクシーらしい。

郎木寺の街は聞いていた通り小さかった。
端から端まで歩いても500メートルといったところだろう。
ガイドブックの地図を頼りに旅朋青年旅館という
ユースホステルにチェックインした。
チベット建築の重厚な感じのユースだ。

チベット人なのか中国人なのか
国籍不明の少し肌黒い青年が部屋を案内してくれた。
誰も泊まっていない川に面した6人部屋で35元(500円)は安かった。

さっそく鳥葬を見に行きたいんだけど、と彼に聞いてみると
彼はなまりの強い中国語で「賽赤寺」に行けという。
寺に入り山を少し登ればそこに儀式が行われる鳥葬台があるという。
私はさっそく出かけてみることにした。

寺に行くまでの道すがらに、一件の刃物屋があった。
この村では料理に使う包丁と、
死者の死肉をぶった切るために使うナタでは、
どちらがより売れるのだろうか?

チケットを買い寺の中に入ると、
そこには金色に輝く寺院がいくつもあった。

それぞれどう違うのか私には全く分からない。
改修工事中なのは、やはり文革の影響だろう。
木とコンクリートで出来た小屋の中に入ってみると
そこには大きなマニ車が中央にドンとあり、
日焼けしたしわしわのおばあさんが
いつまでもいつまでもマニ車をまわしていた。
まるで魔女が秘密の薬でも作っているかのように。

鳥葬台は山の上だと聞いていたので
私はそれらしき山に登ってみることにした。
するとあちこちに「DOG INSIDE」と英語で書かれた
看板が散見された。

まさか鳥葬台に辿りつけないように、
山に野犬でも放っているのだろうか。
犬が苦手な私には嫌がらせとしか思えない。
その看板が示すとおり、じりじりと犬の鳴き声が近づいてきた。
まじか・・・。やばい!かなり怒っている!

私は大きな石を拾い臨戦態勢をとった。
身長180CMの私が犬一匹にやられるわけがない!
お前がその気なら、こっちから殺ってやる!
すると一匹の威勢のいい犬が
急に茂みから飛び出してくるではないか!

ひゃ〜〜〜。

尻を向けると噛まれると野性の勘で思ったので
私は対峙し、しばらく睨み合った。
私が一瞬でも怯もうものなら、
次の瞬間には、カブリと噛みついてきそうだ。

しばらくして犬の泣き声を聞いたのか
それとも私の泣き声を聞いたのか、寺の奥から
中学生くらいの若い僧侶が現れ、「シッ!シッ!」と
ほうきを使って追い払ってくれ、控え目に笑った。
さすがである。これからは餅は餅屋、犬は僧侶だ。

私が礼を言うついでに鳥葬台について聞くと、
僧侶というより中学の野球部に無理やり
僧衣を着せたという感じの彼は
鳥葬台はもうすぐ近くだよ、といい方向を教えてくれた。

私がその通りに歩いていくと小高い山の上に
木の柱を何本も立て、さらにタルチョーと呼ばれる
色とりどりの旗を巻いた何かの目印のようなものが見えてきた。

ヤクの糞を踏まないように気をつけて山の尖がりまで
登るとそこから1キロ程先に煙があがっている場所が見えた。

10倍ズームで撮って見てみると人影が見える。
これが鳥葬台なのだろうか。
私はヤクのために作られた柵を越えてその煙の先に急いだ。

歩く度に煙が近づいてくる。
やがて私は木で作られた入り口にまで来た。

「旅行者の立ち入りを禁ず」と中国語で書かれている。
私は一瞬躊躇したが、ここまで来て後戻りなどできない。
私は美女と鳥葬を見るためにチベットに来たのだ。
忠告を無視して中に入った。

中に入ると前から鮮やかな緑や赤の
ウィンドブレーカを着た中国人の女数人がやってきた。

きっと彼女達も鳥葬を見に来た観光客だろう。
すれ違い様、メガネをかけた地味な女が私に
「もう天葬(鳥葬)は終わったわよ。
私たちも見れなかったの、もっと早く来るべきだったわ」と言った。

そうですか、と答えたが、私はもっと近くで
その死の現場を見てみたくてさらに歩き続けた。





(これより先、グロテスクな写真がでてきます。
苦手な方は見ないほうがいいです。)





やがてそれは見えてきた。
辺りには私以外誰もいない。
真っ黒に燃えた地面と燃え続ける炎。
彼らは一体ここで何を燃やしたのだろうか。

側には死の儀式で用いたナイフやナタが
箱に入れられていた。

辺りには故人の衣服や靴などが散乱している。
そう汚れや腐敗がないところをみると
ついさっきまで故人に履かされていたものだろうか。

少し山の傾斜になっている所まで行くと
鳥が肉を食いちぎり残った骨が山積みにされていた。

この故人は死した今もなお、何を語ろうとしているのだろう。

一通り見終わった私は山を降りる事にした。
立ち入り禁止の門のところで私はしばらく手を合わせた。

私の中に鳥葬はもういいか、という私と
やはり儀式を見てみたいという私の2人がいた。
しばらくその2人は口論をしていたが、やがて勝負がついた。

私は翌日、6時に起き7時には山にいた。

寺のチケットセンターは9時からしか開かないし、
また不要なチケットを買わされるのも嫌なので、
昨日知り合った中国人の青年が教えてくれた裏山を登ってきた。
噂によると鳥葬は8時頃から行われるらしい。

しばらく寒い朝チベットの山で震えながら
鳥葬を待っていると7時10分頃、
静まりかえった山に5発程の大砲のような音が響いた。
私は何が起こるんだろうと立ち上がり周囲を
見回してみたが、大砲が鳴ったとされる辺りから
白い煙がたっている以外なんの変化もない。

さっきの大砲は「今日は鳥葬があるぞ」というサインなのか
それとも反対に「今日の鳥葬はなしだ」という
儀式に参加する解体士へのサインなのだろうか。

私は8時頃まで待ってみたが誰も来ない。
しかし丘の上には腹を空かしたハゲワシが
10匹ほどの固まりで、3組スタンバイしている。

いつもこの時間に飯が食えるのを知っているのだろう。
目的は違うが鳥葬を待っているのは同じだ。
しかし見ていて不気味な光景である。

私は寒い山の上で考えていた。
私は鳥葬が見たい。
鳥葬を心待ちにしている。
鳥葬が開かれて欲しい。

しかし鳥葬が開かれるということは
どこかの村で死者がでたということである。
ということは私は死者がでることを
心待ちにしているのだろうか?

それは少し違うんじゃないか。
死者がでることを、待っているなんて
私はなんて不謹慎な人間なんだろう。

結局、その日は8時になっても9時になっても
鳥葬が行われることはなかった。
きっとあの大砲は「今日は鳥葬なしだ」という
合図だったんだろう。

やがて待ちくだびれたハゲワシ達も一匹、
また一匹と丘から飛び去っていった。
そして私も腰をあげ山を降りた。

私は鳥葬を見に行くのはもうやめようと思った。