10-何もない町

美女探しは終わった。
しかし私のチベット旅はまだまだ終わらない。
いや、むしろ、これからが新しい旅の始まりである!
私はチベットを北上した。

私は次の目的地である馬而康(マラカ)に向かった。
この町は、とりわけ行きたい町でもなかったが、
美しい草原があるという若爾盖(ゾルゲ)に
行くための通過点として、ここらで一泊する必要があった。
まぁ、せっかく行くんだからとガイドブックを開いて
町の情報を調べることにした。どれどれ。

一応アバ州の州都になっている大都市。

おぉ!大都市!成都以来の大都市とな!
ここ最近は山奥の僻地ばかりだったので少し嬉しい。

しかし町にこれといって見所もない。
なんじゃそりゃ・・・。
要約すると、「何も見所がない大都市」か。

まぁいい。時には休憩も必要である。
朝の7時半から乗ったバスは6時間半後、
午後2時に馬而康に着いた。

特に見所のない大都市、馬而康は確かに見所がなかった。

一応、チベット文化圏ではあるようだが、
この町では漢民族のほうが多そうだ。
どこにでもある中国の町という感じが、
中国を自転車旅行していた2008年を
思い出させてどこか心地いい。

私は市場に行って露天商から冷麺を買った。
移動式屋台なのにゴミ集積所の
ま隣で商売をやるところが斬新である。

もしかしたらおいしさの秘訣は
宙を舞うゴミなのかもしれない。

マーボー豆腐マンもあったので買った。

かなり人気のある店のようだったが味は普通だった。
マーボー豆腐は包子の具としは向かないと思った。

町中くまなく歩いてみたが、何もない。
さすが見どころ皆無の町である。

またしばらく目的もなく歩いていると
小学生が下校時にソフトクリームを食べていた。
見ると近くの駄菓子屋でソフトクリームを
待つ子供たちの列ができていた。
私も子供たちと一緒に駄菓子屋の列に並び
パイナップル味のソフトクリームを買った。

ちびっこに混じりソフトクリームを
ぺろぺろしていると、店のおばさんが
「あんたは仕事を何かしているのか?」
と真顔で聞いてきた。

「うん、まぁね。」とかわしたが、
人がソフトクリームをぺろぺろして夢見心地に
なっている時に仕事の話は慎みたまえ。

暗くなってきたのでホテルに帰った。

見所のない町、馬而康の観光終了 ´∀`

文が全くおもしろくないのは馬而康という町が
おもしろくないのであって、私の力不足のせいでは
ないということを、ここで再確認しておきたいと思う。

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よく朝、私は朝6時半にホテルをチェックアウトし
7時の若爾盖行きバスに乗り込んだ。

途中、ちらほらと雪が見え始めた。
高地のチベットでは5月末でも雪が降るのだ。

こういう何時間もバスに乗る時は、
本を読むか、寝るのが一番である。
私は朝が早かったこともあり、バスの中で夢の中にいた。
するとバスが止まった。

トイレ休憩だろうか。
私は眠い目をこすり、目を開けた。
私は目の前で起こっている事態が
すぐには理解できなかった。

なんじゃこりゃ・・

車の渋滞なら嫌という程見たことがあるが
ここチベットでは車の渋滞がないかわりに
野生のヤクの渋滞があるらしい。

途中、本当のトイレ休憩があった。

乗客はチベット系が多数だ。
レストランもあったが、私は長距離バスの中で
腹痛を起こすのが恐かったので、カップ麺を選んだ。

周りの乗客の多くもカップ麺をすすっている。
現地の人が普通に食しているモノを食べるのは
現地に馴染めた感じがして嬉しい。

午後3時には若爾盖に着いた。
この街は、どこもかしこも工事をしていた。

工事の砂煙が町全体をぼんやりと覆っている。
私はひとつの趣のあるホテルにチェックインした。


100元(1300円)の部屋を80元(1000円)に
値切ることに成功したのだが、ホテルの従業員から
今時、中国人でもホテルの宿泊料は値切らないわよと
笑われその証拠に帳簿を見せられた。
確かに私以外、誰も値切ってなかった。

この街に来たのは、綺麗な大草原で馬に乗るためである。
ガイドブックには大草原があると書かれていたが
馬に乗れる場所があるという事は書かれていなかった。
しかし、草原があれば馬乗りもいるはずだと
勝手に断定してやってきたのだ。

しかし馬に乗るとは中国語で何と言うのだろう。
自転車に乗るは「自行车」だが、
馬に乗るのも「马」でいいのだろうか。分からない。
辞書をひけばいいのだが、その時の私は
何故か辞書をひくのが面倒だったので絵を描いた。

描いたあとに、絵のほうが面倒だと気づいた。

この絵をホテルのおばさんに見せて馬に乗れる場所を尋ねた。
するとおばさんは私の絵を見て爆笑し始めた。

これは何!!大きな犬かい?はははははは!!!!!

いやいやいや。。馬ですけど。。
おばさん曰く、この村で馬に乗れるところはないという。
そうか、しかし馬に乗せてくれる馬乗りが
いるかもしれないので私は草原に行ってみることにした。

草原はすぐに見つかった。

馬乗りらしき人はいない。ダメか・・。

ヤクの頭の骨が普通に落ちていた。

馬に乗れそうなところがあったので行ってみると
おじさんが出迎えてくれた。

馬に乗れますか?と聞くと、
おじさんは、ここはレストランで
「馬には乗れないが、馬なら食える」と教えてくれた。

いや、食いたくはない。

しょうがないので私は山のふもとにあるという達托寺に行くことにした。

チベットの親子が寺への道を教えてくれた。

寺には入場券を買うところがないのでタダなのだろうか。
人が集まっている所を見つけて聞いてみたが
私は全く相手にされず、犬を追い払うように邪険に扱われた。
きっと中国人に間違われたんだろう。

寺は安っぽい金ぴかでとにかく派手だ。
村同様、寺でも改修工事まっだなかという感じで
その工事の中を熱心な信者が祈りをささげながら礼拝している。
人々の私への視線がどこか痛い。

この寺も70年代の文化大革命で徹底的に破壊されたのだろう。
当時の中国では宗教が完全に否定され、
仏像は焼かれ僧侶は殺されたという。
そう考えると人々の私への冷たい視線の理由も頷ける。
彼らにとって中国人はチベットを侵略し、
彼らの唯一の心の拠り所であった寺をも破壊した鬼畜民族なのだ。

それはそうと、チベットの仏教建築はユニークだ。

ドクロがあったり、ライオンのようなものがあったり。

これが一体どういう意味を持っているのかは
知りえないが、見ているだけで十分おもしろかった。

夜はチベット料理を食べることにした。
チベット風餃子のモモが食べたいというと、
店の奥さんはモモは作るのが大変だから
注文するなら10個から頼んでくれと言うので
私はチベットのうどんと呼ばれるトゥクパを頼んだ。

ここの奥さんは私に結婚しているのかとか
仕事は何かとか、学生か?とか
プライベートに土足でガンガン入ってくるが
決して嫌な感じはしない。

あんた、チベットのヨーグルトも食べて行きなさいよ!
おいしいのよ!とツンデレの奥さんが言うので、
じゃあ、見せてくれる?というと店の奥から
中学生くらいの女の子が出てきて「今、切らしてる」と
申し訳なさそうに言った。
ガンガン系で迫ってくる奥さんと少し控えめな娘の
バランスが抜群である。

最後に写真を撮らせてもらった。
レジの近くにあったポタラ宮のミニチュアが可愛らしい。

あんた!また若爾盖に来たらうちの店に寄るんだからね!
絶対だからね!約束だからね!

奥さんと娘は私にそう言った。私はなんだか嬉しくなった。
私がじいさんになった頃、ふらりとこの店に来てやろうか。
彼女たちは一体どんな顔をするだろう?
私は小雨が降る寒いチベットの夜の街を
フードをかぶり小走りでホテルまで走った。
何もない町にも、人のぬくもりがあった。

だから私は旅がやめられないのだ。