13-錦馬超に憧れて

あたり一面、何もない大草原。
遠い遥か彼方のテントからは何かを焼く煙がただ一本見える。
黄河の源流の水を含んだ湿地は夕日をあびてキラキラと光り、
私はヤクと羊が無造作に群がるその中を
気心の知れた馬に乗り風のように駆け回る・・。

そうだ、すっかりATM事件で忘れていたが
私はこの旅で乗馬がしたかったのだ!

というのも私は幾度かどこかで触れたように
中国の古典が好きで、その中でも特に三国志が大好きだ。
その登場人物の中に『馬超』という男がいる。

異民族出身のこの男には、漢民族が持つしがらみが一切なく
戦場で自由に馬を操って駆け回り、功績を立てたかと思うと
戦が終わると風のように消える。
人々はこの男を錦馬超と呼び称えたという。

この男、なんてかっこいいんだと。

しかし21世紀のドラえもん世代を生きる私には、
馬に乗って誰かを殺す機会はそうそうない。
それならせめて見渡す限りの大草原で
馬を自在に操りたいと思うようになったのだ。

ちょうど私のいる郎木寺はアムド地方と呼ばれ大草原が多い。
さらに「カムの男に、アムドの馬」とチベット人の間で
称えられるように勇猛果敢なカム地方の男達と同様に語られる程、
アムドの馬は、パワフルであると評判だ。
ここ郎木寺は乗馬をするには、これ以上ない場所なのである。

幸い、乗馬ができるところはすぐに見つかった。
「Horse Treking200元」と書かれた看板に誘われ
旅行会社の中に入ると中は広々としたお洒落なカフェになっていた。
東京のカフェと比べても全く遜色ない。
まぁ、東京のカフェなど行ったこともないが。

「馬に乗りたいんですけど」というと
バーカウンターの中にいたお姉さんは、
グラスを白い布で磨きながら
「あなた英語と中国語どちらがお得意?」と
言うので、「英語」と答えるとお姉さんは突然「OK」と言い、
流暢でものすごい早口の英語で話し始めた。
きっといつも外国人相手に話していて暗記してしまったのだろう。

早口姉さんいわく、一人で参加する場合は260元、
他の参加者が見つかれば200元らしい。
乗馬の途中、アムドワ(アムドに住むチベット人)の
テントで昼食をとって5時間程大草原を馬でゆくらしい。

私はそのコースにすると決めた。
他の参加者が見つかると料金が安くなるので
その時は、また後で教えて!というと、お姉さんは
私に中国の携帯を持っているか聞いてきた。

「ないよ。でも夕日が昇る頃、この村で
まだうろうろしているだろうから、その時にでも教えて」
と言った。言ってすぐ私は何を言っているんだろうと
少し恥ずかしくなった。

夕暮れ時、お姉さんの事などすっかり忘れて
チベット風餃子のモモを食べられる店を探して
村をふつら歩いていると、どこからともなく
早口英語のお姉さんがやってきた。
参加者は日帰りツアーに申し込んだ私と、
もう一人1泊ツアーに申し込んだ人だけだと教えてくれた。
出発は一緒にするが、途中からコースが違うらしい。

翌日、朝10時に旅行会社に向かうと
お姉さんは西洋人の若い男性と私を
旅行会社が経営するホテルの裏庭に集めた。
どうやらこの彼と途中まで一緒に行くようだ。

見渡すと、そこには馬が4頭、
ゆったりしたロープでくくられていた。

おじさん達は食料や水などを馬にくくりつけている。
そこにいつの間にか乗馬用なのか馬乗りが履きそうな
長い革靴に履き替えた早口英語姉さんが現れ
突然、初心者乗馬教室が始まった。

Ok,Let's start!
まず左に曲がりたい時は、馬の右腹を足で蹴るの。
そして右に曲がりたい時は、反対に馬の左腹よ。分かった?
早く走らせたい時は両方のお腹を足で挟むように蹴ってあげて。
でもあまり強く蹴らないでね。
歩みを止めたい時は手綱を引いて馬に知らせるの。
そしたら馬は止まるわ。後、馬は自分の後ろに
人が立つのを極端に嫌うから馬の後ろにまわると蹴られるわよ。
何か質問ある?ない?それじゃ、気をつけてね!

早口英語の乗馬レクチャー、5分で終了。
この後はアムドワのおじさん達2人が私達を
大草原に案内してくれるという。

いやー不安だ。実に不安だ。
私は言われるがままに、足掛けに足を乗せ馬に跨った。
象には乗ったことはあるが馬は初めてだ。
視野が急に高くなる。
馬のごつごつした筋肉質の体が足に伝わる。
目の前で馬の長いたて髪が、わっさわっさ揺れている。
よく見ると、なかなかセクシーな動物である。

馬の頭をなでて、「ヨロシク」と伝えると
馬は伝わったのか伝わってないのか
ゆっくりとその長い足で歩き始めた。

私と一緒に行くおじさんは、
なかなかワイルドなイケメンタイプだ。

おじさんの馬はアムドの馬らしく気性が荒く
扱うのが難しいが、私の馬はおとなしいと教えてくれた。
確かにおじさんの馬は「俺、暴れ馬っす」という感じだ。

私の馬は大人しかったが、その分、歩みも遅かった。
普通に歩いている分ではどんどんみんなに置いて行かれる。
慌てて両足で腹を蹴り早く走らせるとやっと一行に追いつく。
尻を叩かれないとあまり動かない所がどうも私に似ている。

村を越え、草原に向かう道に住宅がいくつかあった。
すると子供達が家から飛び出してき、
ハロー!ハロー!と手を振りはじめた。

そういえば私も幼い頃、田舎の実家付近で
数年に一度外国人を見かけた時には
同じようにハロー!と声をかけたっけ。

次第に住宅はなくなり、見渡す限りの大草原に入る。
アムドワのおじさんは晴れ渡った大草原で気分が
のってきたのか、チベットの歌を大声で歌い始めた。
聞いたことない歌ばかりだが、青空の下
馬にまたがり祖国の歌を大声で歌うのは本当に気持ちよさそうだ。

途中、馬の群れにも遭遇した。
誰かの飼い馬のようだが、持ち主はおらず
馬が自由に草原を走り回っている。
こんな大きな草原でどうやって
管理しているのか全く謎である。

羊の大群もいた。ハイジはいなかった。

馬は私が想像していたより遥かに丈夫な生き物で
急な山にも登れば、浅い川も何のへっちゃらという
感じでぐんぐん進む。

しかしこの馬、時々私の「進め!」という指示を
無視して水を飲んだり、草を食べたりし始める。
最初は、まぁ喉も渇いているだろうから
仕方ないかと思ってみていたが
あまりしょっちゅう勝手に休憩しだすので
「今日のお前の主人は私だぞ!」と知らしめるため
私はこの馬に厳しく接することにした。

馬が草を食べようとしたらタズナを上げてそれを阻止し、
水を飲もうとしたら同じように飲めなくしてみた。
とろとろ歩いていると腹を蹴って急がせた。

これでやっと、こいつも今日の主人が私であると気づいただろう。
私が殿様気分で馬に乗っていると
この馬、そんな私が気にくわなかったのか、
いきなりスピードをあげて走ったかと思うと
急にペコリとお辞儀をする感じで止まり
私を振り落とそうとしてきた!

私はギリギリのところでタズナを天に向かって上げ、
瞬時にできる限り上半身を後ろに反らせたので
落馬の危機はかろうじて逃れられた。

しかし、なんて危ない馬なんだ。
こいつ、人間がどうしたら落馬するかを熟知してやがる。
もしかすると常習犯かもしれない。
私は次第にこの馬という動物が恐ろしくなってきた。

しかし厳しく調教しないと、さらになめられかねない。
私がこの馬とどう付き合っていこうか考えていると
アムドワのおじさんが、あそこで昼食をとろうと
黒いテントを指差したので、試しにそこまで
馬を全速力で駆けさせてみようと思った。

憧れの馬超のように・・。

果たして言うことを聞いてくれるだろうか。
私は足で腹を挟んで、幾分強めで蹴ってみた。
すると馬はいつもより速く走り始めた。

よし!よし!いい子だ!

少し下りの傾斜があるため体感速度はさらに速く感じる。
けっこうスピードが乗ってきたなと言うとき、
この馬は何を思ったか、再び急に足を止め
私を振り落とそうと、お辞儀をするではないか!

え!?えーーー!!!!!!!

もはやタズナを上にあげる暇はなかった。
私は馬の背を離れ、宙を舞った。
跳び箱を飛ぶ小学生のように馬の頭を飛び越え、
私は地面に下腹部から落下した。

痛ぇ・・。

大きな怪我こそないが、手の平と腹の下がジンジンと痛む。
アムドワのおじさんがすぐに大丈夫か?と駆け寄って来たが
私は心配をかけたくなかったので
すぐに立ち上がり「大丈夫」とだけ伝えた。

しかし肉体的ダメージより精神的ダメージのほうが大きかった。
私は調教しようとした馬に、今日の主人として
不適格と見なされ落馬させられたのだ・・。

馬超さん・・馬、超怖ぇっす!

あぁ・・。
落馬でブルーな私は黒いテントに向かった。
その中にはチベット人のおばさんが一人いて、
私達に振舞う料理を温めていた。

私の落馬のショックなど全く知るよしもない
このおばさんによれば、この黒いテントも
ヤクの皮をつなぎあわせたものらしい。
へぇ・・、ヤクのねぇ。皮ねぇ。

私は自分の腹の皮がまだ痛い。

昼食はジャガイモを甘く煮て、
漢方薬を入れたような味のものと、
チンゲンサイの味のないスープだ。
落馬のショックを引きずりながら、
私はそれらの食事をありがたくいただいた。


漢方の味がする丸い粒を除いて食べれば
日本の慣れ親しんだ味に近く食べやすかった。
日本人は韓国人や中国人より遺伝子レベルで
チベット人に近いという研究結果もあるようだ。
味覚も似ているし、日焼けを除けば顔もそっくりである。
なにかしらの遠い縁を感じずにはいられなかった。

午後からは、私と馬を離れさせるためか、
単に馬を少し休ませるためか、辺りを少し歩こうと言われた。
聞けばおじさんのお勧めの「絶景」があるという。
馬に乗ることに恐怖心すら感じ始めていた
私には、そのほうがずっとよかった。

しばらく草原を歩き、おじさんお勧めの絶景が見えてきた。
おじさんは立ち止まりこう言った。
「綺麗だろう? 好きなだけ撮影してくれていいんだからな!」

はい、と答え一応カメラを出してみたが
この景色、一体どこが綺麗なんだろうか・・。
私には普通の岸壁にしか見えない。
というか、誰の目にも完全に岸壁だ。

月並みの景色にしか見えないのだが・・。
それとも私の心は美しい景色を素直に
美しいと思えないほど荒んでしまったのだろうか。
それなら、きっと落馬の後遺症だ。

私とおじさんはこの「美しい」景色を前に腰を下ろし話し始めた。
男2人きっきりで、辺りには私達以外誰もいない。
ただチベットの冷たい風だけが私たちの間を吹き抜ける。

「中国人のこと、どう思いますか?」

私が突然そう聞くと、おじさんは少し考え
やはり中国人や回族の事は好きになれないと言った。

中国人とは文化も言語も違う、
それなのに中国はチベットを中国の一部にした。
回族は中国の少数民族のはずなのに、
漢族と同じようにチベットを迫害した。

怒りを前面に出すことはしないものの
静かな怒りを内に溜めているという感じだ。
チベット人の率直な感情を知ることができたので
私は話題を変えてみた。

「ここで馬乗りをする日本人は多いですか?」

「いないよ、5、6年この仕事をしているが君が初めてだ。」

「そうですか。じゃあ、どこの国の人が多いですか?」

「そうだな、アメリカやヨーロッパかな」
おじさんはそう言い、話し始めた。

この間、イギリスから一人の女が来てな、
その女に馬乗りを教えたんだ。
その女は俺のことが、えらく気に入ったみたいで
何回も俺と馬を乗りに行ってその度に
乗馬が終わってから1000元(13000円)くれたんだ。
俺の一日の乗馬での手取りが60元(約780円)だから
その金額は、ほぼ月収に近かったよ。
それから女は私のホテルに来ないか?って言い始めた。
俺は断ったんだ、だって嫁も子供もいるしな。
そしたらその女、俺の事を「いくじなし」って言うんだ。
俺はいくじなしなんかじゃない!
だって嫁と子供がいるんだ。
分かるだろ?

ふむ、恐るべしイギリス女である・・。
最後に日本の女性についても聞いてみた。

「日本の女性はどうですか?綺麗ですか?」

「とても綺麗だ。俺は君がうらやましい。」

おじさんはそう言って笑った。私も笑った。
日本の女性はどうやらチベットの僻地でも人気があるようだ。

「さぁ冷えてきた。村に帰ろう。」

おじさんがそういうので私も腰をあげた。
村に帰るまで、馬に乗るのは怖かったが
村までは15キロもあり、乗らずには帰れないので
私は意を決して馬に跨った。

いつお辞儀されてもいいように
タズナはかなり短く持ち、いつでも対応できるように
備えて乗っていると、乗っているだけでかなり神経を使う。
だいたいお辞儀は日本人の専売特許のはずである。
馬に乗るのも決して楽ではないのだ。

1時間半後、特に大きなトラブルもなく
私はようやく郎木寺の村に着いた。
帰りは行きよりも、うまく馬も乗りこなせたように思う。

私の泊まっているユースの前のテラスでは
顔なじみのスタッフやゲストがおり
私の姿を認めると手を振ってくれた。
私も嬉しくなり手をふりかえした。

乗馬が終わり、私は馬から降り馬の頭をなでた。
今日一日世話になりましたと。

馬はうんともすんとも言わず、時々こちらを静かに見つめた。

さっきまでタズナを握っていたその手は、
チベットの高地の強い日差しを
存分に浴びカサカサになっていた。

その上、チベット人がよくしている数珠を
腕に巻いたもんだから手だけ見れば
どこぞやのチベット人のようである。

私は少しでも馬超に近づけただろうか?

そんな事を考えながら、その手で再び馬の頭を撫でると
馬は「ブヒン」と一言、不細工な声で鳴いた。

「お前は、まだまだ馬超には程遠い。」

私にはこの馬がそう言っているように思えた。