14-最後の恋

郎木寺での宿である旅朋青年旅館はおもしろい場所だ。

ゲストルームは全て二階になっており、
一階は共有スペース兼レストランとなっている。
そこには通りに面したバルコニーがあり、
椅子に腰掛け郎木寺の通りを眺めながらお茶を飲める。
私はここから郎木寺の通りをぼーっと眺めるのが大好きだ。

ぼーっと眺めていると
一軒のみやげ物屋の軒先に5歳くらいの少女2人の姿が見えた。
少女は軒先に出てなんやら叫んだかと思うと
キャッキャッとはしゃいで、すぐにみやげ物屋に消える。

そして、さっきとは別の少女が同じように現れ
再び大声で何かを叫び、またはしゃぎながらみやげ物屋に消える。

どういう遊びかは知らないがとても楽しそうで
こちらの気分までほっこりしてしまう。
そんな傍を砂煙をたてながら馬がパカパカと通りすぎるもんだから
私は西部劇の中に迷い込んだような感覚に陥る。

気がつけば暇なスタッフや、同じく暇をしている旅人が
真昼間からビールやお茶を片手にやってきて椅子にこしかけ
飲むか?と言ってくれ、とりとめもない話をする。

さらに夜ともなればスタッフは大皿に盛られた料理を
数種類テーブルに持ち寄り、初対面の人間で宴会が始まる。
メンバーはオーナーとスタッフの男ニ人、
中国人の女子大生一人に、バスがなくなって
たまたま迷い込んだ中国人の男に、
近所のレストランが暇でやってきた従業員二人に
隣のみやげ物屋のちびっこが数人というてんやわんや状態である。

私が事前に晩飯を食っていようとおかまいなしの彼らは
白い皿の白い部分が見えなくなるまでオカズをよそってくれる。
料理人は私の郎木寺のいい話し相手である才旦君だ。(下の写真右)

24歳と若い彼だが、既に料理人として15年の
キャリアというから驚きだ。

そんな彼の作る料理は中華ベースでどれも美味しい。

私が「好吃!」と言うと彼はそれが嬉しかったのか
またどんどんお皿にオカズをよそってくれる。
宿代以外は一銭も払ってないのにとても親切な連中だ。
私達はなんでも話した。一般的にタブーとされている
政治や歴史問題もおかまいなしである。

南京大虐殺は知っているか?」

中国人の女の子がメガネの奥に真剣な眼差しをして聞いてきた。
私が「知っている」というと、彼らはみんな真剣な顔から、
急に歯を見せ笑顔になり「カンパーイ!」といいグラスを重ねた。
彼らはどうやら、日本人が自国にとって都合の悪い歴史を
学校で教わらずに、全く知らないと思っていたようで、
私が知っていたことが嬉しかったようだ。

過去の悲しい両国の歴史を机上で学んだにすぎない私達世代は
国家に対する憎しみや嫌悪感はあるのかもしれないが、
個人的なものは何ひとつない。その後も私が何か
中国の事を知っているごとに私達のテーブルからは
「カンパーイ!」の声が高らかに響いた。

私達が楽しく話していると
近所のレストランの従業員の男がやってきた。
才旦と友達らしい彼はなんやら急いだ様子でこう言った。

「やばい!うちの店に日本人の女の子がいるぞ!」

なにがヤバイのか分からないがその瞬間、
みなの目が同じ日本人である私に向いた。私は驚いてしまった。
こんな電気も水道も不安定な辺境に日本人の女の子がいるのか。
ただでさえ日本人旅行者の少ないこの村ではにわかに信じがたい。

そのレストランの従業員は私が日本人だと知ると
その人懐っこい笑顔をこちらに向け、
「さぁ俺と二人で彼女に会いに行こう!ほら!」
と私の腕を引っ張ってくる。

私が冗談で「その子は可愛いの?」と聞くと
さっきまで元気だった彼はその瞬間「・・・。」と
無言になってしまった。

なかなか正直な男である。
あまり過度の期待は厳禁らしい。

私は同じ日本人というだけで会いに行くなど嫌だ!と
抵抗したが、みんなが「行け!」と言うので
しぶしぶ彼が働くレストランまで行ってみた。

私が最後の最後まで抵抗したので、
彼は「仕方ない!じゃレストランから覗こう!分かった?」と言い
私達は彼の働くレストランのドアを少し開け中を覗き
日本人の女の子とやらを物色する事にした。

テーブルには数人の男女がいたが、向こうに気づかれないよう
一瞬しか見ていないため、どれが日本人の女の子で
どれがチベット人かなど分かるはずがない。
「見えたか?」と男は言ったが、私は「そうだね・・」と言葉を濁した。
その夜は暖炉を囲み、くだらない話を夜一時まで語り明かした。

翌日の夜も自然と暇人がバルコニーに集まった。
ここのスタッフは二人いるが一人の男は私と同じ26歳だ。
子供が私の腰の高さくらいだというので驚いてしまった。
もう一人のスタッフの才旦も結婚こそしていないが、
親が決めた許婚と来年、結婚を予定しているらしい。
その許婚は昔から知っている相手らしいが
才旦はその女の子のことを
「可愛くもないし、好きでもない」と言う。
しかし財布に挟んでいる写真を見ると可愛らしい。

みんなが「可愛いじゃん!」と言うが才旦は
ふーっとため息をついて頭をかきむしる。
もしかすると相手がどうこうではなく結婚する相手を
自分で決めれらないという古いチベットの風習に対し
不満をもっているのかもしれない。

私達がプライベートの話をしていると二人の女の子がやってきた。
一人はチベット人で才旦の知り合いらしい。
そのほっぺたが日焼けしたチベット人のその女性は
隣の背の高い女性を「彼女、日本人よ」と紹介した。

!!

才旦が私のほうを向くので私は彼女に日本語で挨拶をした。
才旦は嬉しかったのか笑顔で「こんにちは〜」とありったけの
知っている日本語で挨拶をしている。
さらに戦争ドラマで見たという将校が「馬鹿!」といいながら
部下をビンタするシーンまで完全再現する程のサービス精神だ。
彼女は確かに一般的に美人と言われるタイプではないが、
親しみやすく初対面でもどんどん話しかけやすい雰囲気の女性だ。

聞くと彼女は旅行が大好きで主にアジアを回っており
特にチベットの寺が好きで毎日寺に行っては
現地の人と交流をもっているという。
彼女もやはり暇なようで一日村をぶらぶらした後は
ゲストハウスにときおり顔を見せるようになった。

するとしばらくしてどうも才旦の様子がおかしくなった。
もともと、ひょうきんな男だったが、さらに冗談や笑顔が増えた。
仕舞いには携帯を使い日本語を勉強し始めた!

私が勘ぐって、「昨日の中国の女子大生と、
今日の日本人の女の子はどっちが可愛い?」と聞くと
才旦は「中国人の女の子はだめだ!」と言いはった。
ということは、もしかして日本人の女の子は・・・。

才旦はどうやら日本人の女の子を気にいったらしい!

私には普通の日本人の女の子にしか見えないが
彼らにとっては日焼けしていない綺麗な白い
ほっぺたをもった彼女は異国の北方の島からやって来た
オリエンタル美人にでも見えたのだろうか。

才旦は携帯を難しい顔でじっと見つめ
今から日本語を話すから聞いてくれという。
私は「分かった!」と答えた。
才旦が、険しい顔をしながら発音する。

「キミコソ、ワガ好意ニ、アタイスルモノ!」

君こそ、我が好意に値するもの?!?!!?
私は笑ってしまった。全くなんじゃそりゃ!である。
確かに意味はなんとなく分かるけど・・。

そんな事は口が滑っても言うんじゃないぞ!
私は正しい日本語を彼に教え込んだ。
「あなたは可愛いですね」「何歳ですか?」「私はあなたが好きです」
「我爱你」はなんと言う?と彼が聞くので
日本人のいざという時の決め台詞、
「愛してる」を何度も念入りに教えた。

私が言葉を発する度に才旦は
「ちょっと待って!」と言い、それをメモする。
なかなか勉強熱心な奴である。
もしかしてこれが才旦にとって初めて自分で見つけた恋
なのだろうかなどと想像が膨らむ。

昼に村や寺院を散歩して、夜再びユースに戻ると
そこには知らない若い男が一人いた。
その男は地図を持って私のところにやってきた。
関西で活動している芸人の「かつみさゆり」の
「かつみ」の持つうさんくささに「悪の要素」をふんだんに
足したような男は私にこう言った。

「日本人の女の子が近くの町に行きたいというんだが
バスがないからかなり遠回りして行くというんだ。
俺はもっといい道を知っている。バスも本当はあるんだ。
そう何度も彼女に言ったんだが、彼女は
中国語があまり分かないから、全然聞こうとしないんだ。
途中まで俺と同じ道だから一緒に連れていこうと思う。
おい、通訳してくれないか?」

全く日本人の女の子大人気やな・・。

しかしこの男、親切心から言っているというよりは
言葉の節々と態度からどこか下心を感じる。
あわよくば彼女を狙っているという感じである。

自国の女を悪い男から守らねば!

私はめんどくさいのと、単純にこの男がどうも嫌いなので
「彼女には彼女の考えがあり、私はそれに
 干渉するつもりはない」と言いはねのけた。
しかし、なかなかしつこい男でいつまでも私に近寄り
なんとか彼女を自分と一緒に行かせようとする。
まったく面倒くさい奴だ。

1時間後くらいだろうか。
男が去って彼女がやってきたので話を聞いてみた。

まずこの村について聞くと、彼女はこの村が大好きだといった。
「この村の男に言い寄られない?」と私が聞くと彼女は答えた。

「言い寄られます!私ほんと可愛くなくて
 日本では全然もてなくて日本でそいう風に誘われる事が
 なかったからとても怖いんですよ。だからこの村は好きなんだけど
 もうそろそろこの村を出ようかなと思ってるんです。」

やっぱり!

さっきの「かつみさゆり」についても聞いてみた。
「あの胡散臭い男はなんか言ってきた?」

「いろんなアドバイスしてくれるんですけど
 なんか怖いんですよあの人、あの男の人は
 どこか下心がありそうで」

やっぱり!やっぱり!

彼女が帰った後、才旦に今あったことを全て話した。
彼女が「かつみさゆり」似の男が嫌いだと言っていた事を
伝えると才旦はしばらく笑っていたが
次の瞬間、真顔になりこう言った。

「俺のことは何も言ってなかった?嫌いとか言ってなかった?」

「言ってなかったよ」と答えるが「じゃあ何と言ってた?」と聞いてくる。
何と言っていたと聞かれても何とも言ってなかったのだが・・。

ただ一つ確かなのは彼女が旅の道中で恋人を作ろう
という気は全くなさそうだったということだ。

私は才旦があまり執拗に聞いてくるので
彼女と才旦の間にも、何か一悶着あったに違いないと勘付いた。
才旦君、まさか言ってないよね?言ってないよね?

「君こそ、我が好意に値するもの!愛してる!」

こんなこと言ってないよね?
私は才旦の作ってくれた牛肉麺を食べながら湯気越しに
才旦の心配そうな顔を覗きみて笑った。

通りでは夜の冷たい風が郎木寺の村をふきつけていた。
才旦の燃えあがる最後の恋の炎は、通りの冷たい風に
吹き消されるかのように静かに儚く消えていった。